1998年のデビュー以来、その圧倒的な歌唱力で多くの人々を魅了し続けている歌姫MISIAさん。
東京オリンピック開会式での国歌独唱や紅白歌合戦のトリを務めるなど、今や日本を代表する歌手として不動の地位を築いています。
しかし、そんなMISIAにも意外な一面があったのです。
そこで今回のこの記事では、
- MISIAの若い頃の夢とは
- 歌姫MISIAの誕生秘話
- デビューから現在までのMISIAの軌跡
今回は、MISIAさんの若い頃の夢や、歌手になるまでの秘話、そして現在の活躍に至るまでの軌跡を徹底解説します!
早速本題に入っていきましょう。
MISIAの若い頃の夢とは
MISIAさんの若い頃の夢、それは意外にも幼稚園の先生になることだったのです。

2020年11月5日、東京・丸ビルで行われたクリスマスツリー点灯式でMISIAさんは自身の幼少期の夢を明かしました。
「幼稚園の先生になりたかったんです。
歌手になりたいと思う前は幼稚園を作って、子どもが笑っている世界が1番素敵だな、と思ってました」
出典:ORICON NEWS
この発言からは、幼い頃のMISIAさんの豊かな想像力と、子どもたちを笑顔にしたいという優しい心が伺えます。
実は、この夢は現在のMISIAさんの活動の原点となっているのです。
歌姫MISIAの誕生秘話
では、幼稚園の先生になりたかったMISIAさんが、なぜ歌手の道を選んだのでしょうか?

MISIAさんの音楽への目覚めは、両親の影響が大きかったと言われています。
MISIAさんの両親は医師であり、特に母親は小児科医として働いていました。
医療の現場で人々を助ける両親の姿を見て育ったMISIAさんは、自然と人を助けたい、社会に貢献したいという思いを持つようになりました。
「(小学校の合唱でも)歌は超目立ってました」
「(MISIAさんが歌うと)合唱にならないくらい」
出典:Qテレ
地元の幼なじみから、このようなエピソードも紹介されました。
音楽の持つ力に気づいたMISIAさんは、歌を通じて人々を元気づけ、笑顔にすることができると考えるようになったのです。
これは、幼稚園の先生になりたかった頃の「子どもが笑っている世界が1番素敵」という思いと通じるものがあります。
デビューから現在までのMISIAの軌跡
1998年、20歳でデビューしたMISIAさんは、その類まれな歌唱力で一躍注目を集めました。

そんなMISIAさんが、日本テレビ系で放送の「しゃべくり007」で、長崎・対馬で過ごした幼少期のエピソードを大公開。
MISIAの運命を変えたのは、父親が持って帰ってきた1枚のオーディションのビラ。
出典:Qテレ
デビュー曲「つつみ込むように…」は大ヒットとなり、MISIAさんの名を一気に広めました。
その後も「Everything」「アイノカタチ」など数々のヒット曲を生み出し、日本を代表する歌姫としての地位を確立していきます。
音楽活動だけでなく、社会貢献活動にも力を入れているMISIAさん。
2007年にケニアの首都ナイロビを訪れて以来、アフリカとの関わりを持ち続け、平和活動や環境保護活動にも積極的に取り組んでいます。
これは、幼い頃から持っていた「人を助けたい」という思いが形になったものと言えるでしょう。
東京オリンピック開会式では、国歌を独唱し、その歌唱力で世界中の人々を魅了しました。
また、紅白歌合戦でトリを務めるなど、日本を代表する歌手としての地位を不動のものとしています。
最近では、能登半島地震の被災地復興を目的としたプロジェクト「PEACEFUL PARK 2024 for 能登」を立ち上げ、約3700万円の寄付を行うなど、音楽を通じた社会貢献活動も精力的に行っています。
まとめ
MISIAさんの若い頃の夢は幼稚園の先生。
その夢は、人々を笑顔にしたいという思いとして、現在の活動にも生きています。
歌手としての圧倒的な才能と、社会貢献への強い意志。
この2つが融合したからこそ、MISIAさんは単なる歌姫を超えた、真の芸術家として多くの人々に愛され続けているのでしょう。
MISIAさんの活動からは、夢は形を変えても、その本質は変わらないということを学べます。
これからも、MISIAさんの音楽と活動が多くの人々に希望と勇気を与え続けることでしょう。
それでは、ありがとうございました!
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