明石家さんまの壮絶な子供時代!死別と確執に隠された苦しみとは?

お笑い界の第一線を走り続け、圧倒的な人気と存在感を放つ明石家さんまさん。

明石家さんまさんは、テレビの前ではいつも明るく、エネルギッシュな笑顔を見せ、多くの人々に元気と笑いを届けています。

しかし、その裏側には決して順風満帆ではない壮絶な過去が隠されているのをご存じでしょうか。

幼少期に経験した家族との別れ、継母との確執、大切な弟との死別、父との複雑な関係。

それら数々の試練が、今の明石家さんまさんの笑顔の根底にあります。

そこでこの記事では、

  • 明石家さんまの壮絶な子供時代
  • 明石家さんまと継母との確執と苦悩
  • 明石家さんまと父・弟にまつわる切ない過去

今回は、そんな明石家さんまさんの笑顔の裏に隠された苦難と逆境に迫ります。

早速本題に入っていきましょう。

目次

明石家さんまの壮絶な子供時代

明石家さんまさんは和歌山県で生まれ、兄の正樹さんと二人兄弟として育ちました。

出典:Instagram

しかし、明石家さんまさんがわずか3歳の時に実母が病気で他界。

母の愛情を十分に受けることができないまま、幼少期を過ごすことになります。

その後、父が再婚し、新しい母親と歳の離れた弟ができました。

弟ができた喜びも束の間、継母との間には深い溝が生まれます。

新しい母親は実の子である弟を可愛がり、明石家さんまさんには冷たく接しました。

「うちの子はこの子だけや」と壁越しに話す継母の声が聞こえ、兄と二人で二段ベッドで泣きましたわ。

出典:grape

兄弟で共に泣いた場面からは、家族の絆の複雑さと、幼い子どもたちの傷つきやすさが痛々しく伝わってきます。

明石家さんまと継母との確執と苦悩

継母に認めてもらいたい一心で、明石家さんまさんは毎日面白いことを考え、必死で笑いを取ろうと努力しました。

出典:Instagram

この無理に明るく振る舞う努力が、後のお笑い芸人としての原点とも言われています。

それでも継母との距離は埋まらず、愛情に飢えたまま成長。

大人になってからも、明石家さんまさんは自分の家庭を持った際、元妻・大竹しのぶさんの連れ子にも特別な気遣いを見せたといいます。

子供らに自分のことをボスと呼ばせてるのもニチカに対する気遣い。
家に帰ってくるとイマルより先にニチカに触っていた。
プライベート話をしてるようでしていない。

出典:願正寺

自身の経験から、子供たちに寂しい思いをさせたくなかったのでしょう。

明石家さんまと父・弟にまつわる切ない過去

明石家さんまさんは、父親とは時に厳しく、時に競争心を燃やす関係でした。

出典:Instagram

初めて父親に100メートル走で勝った時、「勝ってしまった寂しさ」を感じた。

出典:entax

それほど、父は明石家さんまさんにとって乗り越えたい存在であり、大きな存在でした。

一方で、心の支えでもあった弟は19歳の時に火事で命を落とします。

弟はサッカー部のキャプテン。

国体にも出場するほど優秀で、さんまさんを慕っていました。

「今度のワールドカップを一緒に見に行こう」と約束していた矢先の突然の死別。

出典:grape

弟の死は明石家さんまさんに大きなショックを与え、お笑いの世界から引退を考えるほど追い詰められました。

そんな時、同期のオール巨人さんが舞台で敢えて過激なボケを放ちます。

「お前んち、兄弟焼いたらしいな」

この際どいボケに対し、これはオール巨人さんの励ましだと気づくさんま。

「そや、材木きれたから代わりに焼いたんや」と返し、会場は爆笑。

出典:grape

この瞬間に、明石家さんまさんは芸人として生き続ける決意を固めたのです。

まとめ

明石家さんまさんの笑顔の裏には、実母との死別、継母との確執、弟の死別、父への複雑な思いといった数々の苦しみが隠されていました。

それでも、人を笑わせ続ける姿勢は、逆境を乗り越えてきた明石家さんまさんだからこそできるもの。

娘・IMALUさんに名付けた「生きてるだけで丸もうけ」という言葉にも、その深い想いが込められています。

壮絶な過去を抱えながらも、笑いを届け続ける明石家さんまさんに、改めて尊敬の念を抱かずにはいられません。

明石家さんまさんの生き方から、私たちも人生の逆境を笑顔で乗り越える勇気をもらえるのではないでしょうか。

今後も明石家さんまさんの活躍を応援していきたいですね。

それでは、ありがとうございました!

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